10月1日

午前 クラスカフェ

 ふれあい祭りは、①広報による東大阪カレッジの紹介 ②朗読(各班一人) ③混合合唱(上を向いて歩こう・翼をください)に決まりました。そして、玉田峰子さんの指導で、混合合唱の練習をしました。


午後 永和~小阪まち歩き

 10月というのに非常に暑い中、東大阪観光協会の案内で、永和から小阪までまち歩きをしました。コースは、鴨高田神社・長栄寺・帝キネ小阪撮影所跡・ハウス食品・大阪商業大学商業史博物館です。


 鴨高田神社は平安時代の「延喜式」にのせられた古社で、中世には岩清水八幡宮の荘園となっており、いつしか八幡宮と称され、石灯籠にも「八幡宮」の文字が彫られています。


 百済山長栄寺は開基、聖徳太子。江戸時代の高僧慈雲尊者ゆかりの寺院です。現在は「正法律根本道場新真言宗本山」。本尊は木造十一面観音立像・檜一本造で大阪府文化財に指定されています。また、慈雲尊者が修行した「禅那台」が残されています。


 帝キネ小阪撮影所の痕跡はなく、電信柱に「旧社名・天然色活動写真」を表した「テンカツ」、そして石碑があるのみ。また、帝キネで活躍した「市川好之助」の墓が長栄寺にあります。

 また、小阪撮影所には風呂がなかったので、俳優さんは「錦水湯」で汗を流したそうです。


 ハウス食品の大阪本社が小阪にあります。現在はほとんどが大阪商業大学に変わっていますが、昔は小阪駅を通るとカレーの良い匂いがしたそうです。


 大阪商業大学谷岡記念館を見学。1階には国内外の民族玩具(大局将棋、世界の将棋、チェス、麻雀牌など)が展示された「アミューズメント産業研究所展示室」、2階には江戸時代の大阪商人の活動を解説した「商業史博物館」があります。



10月15日 遠足・ならまち

 10時30分近鉄奈良駅行基像の前に集合し、その後班ごとに「ならまち」を散策。

 一班は、中川政七商店・レトロな喫茶店・からくりおもちゃ館、ならまちの賑わいを体感しました。


 二班は、奈良県庁(屋上)から奈良市を一望、そのあと元興寺を見学しました。


 三班は、からくりおもちゃ館・もいちどセンター街・猿沢池を散策しました。


 四班は、御霊神社など、古い街並みを散策しました。


 その後「和み館」に移動し昼食、班ごとに懇親を深めました。



10月22日 東高野街道を歩く

 東大阪文化財を学ぶ会・南先生の案内で、東高野街道を野崎観音より石切劔箭神社まで歩きました。

 野崎観音は福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺で、毎年5月に行われる「野崎まいり」で有名です。この野崎あたりは、戦国時代の三好長慶の時代、「キリシタン信仰の盛んな地」であり、野崎観音が隠れキリシタンと関りがあった可能性があるとのことです。それは、梵鐘に「十字架」が浮き彫りされていること、もともと野崎参りは4月1日から8日でキリストの復活祭と重なるなど、いろいろ理由があげられています。


 須波麻神社は、大東市唯一の延喜式内社で、祭神は大国主命。この神社のすぐ西が河内湖由来の池であり、渚浜(すはま)に位置していたことから、社名になったと考えられています。

 この神社の入り口に「おかげ燈籠」があり、道標を兼ねており、東高野街道筋から移築されたものです。


 善根寺春日神社は春日四神を祀っており、768年奈良の春日大社に枚岡神社より枚岡明神を分霊し遷座するのに供奉した一行のうちの25人が河内に帰り、この地に春日四神を勧請したのが始まりとされ、日本最初春日神社といわれています。また、神武東征のとき、長髄彦との「孔舎衙坂の古戦場」を表す石碑が建っています


 井上邸住宅は大和棟・箱棟造りで、大黒柱に天明4年(1784)の祈祷札があり、屋敷構え・主屋門がよく残存されています。本年(2024)8月15日登録有形文化財(建物)に指定されました。


 日下貝塚は、今は看板のみで荒れていますが、発掘された貝は淡水産のセタシジミで、他に人骨が34体、馬の全体骨格も出土しています。


 石切劔箭神社では、宝物館が無料公開されており、三角縁獣帯四神四獣鏡、そして銘刀「石切丸」を鑑賞しました。


朝10時から午後3時まで、生駒西麓の東高野街道をメインに、登ったり下ったり、皆さん頑張りました。